思い付きを書き捨ててる

文字を、書き、

メモ(気持ち悪い表現と気持ち悪いと表現することについて)

「お父さん、これ気持ち悪い」

Twitterで話題となっている、とある投稿の一部である。複数のライトノベルを覆うカバーが女性を性欲の対象として強調する絵であり、ゾーニングもされず書店に陳列されているとのことだ。

 

女性の目線からすると、性の対象として消費されている屈辱感や尊厳を蔑ろにされる無力感を、日常のふとした瞬間に食らってしまうことは非常に不快で常に避けたいことであろう。

男性は昨今話題に上がるBL作品を例に置き換えて想像すれば分かりやすいと思った。

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ーー性的に体を異様に誇張され、ひたすら性的消費の道具として扱われる…

シンプルな性的志向表現が世にあふれ、強調された過激な表現が描かれた作品が増える、このことにも馴れてしまい、更に過激な表現が重ねられる。閉じられた中で発展してしまうことは仕方ない。

――…気持ち悪さは想像できるし、…

表示されたものが自身に関連していると思えば、気分は良くない。私からは今の女性が感じる何分の1をも実感できないと自覚しており分析できないが、確かな不快感は想像できる。そのような物に常にさらされていることはしんどかろう。

 

ーーライトノベルの表紙として子供の目に届く場所に置いてあることはほとんど暴力である。

閉ざされた世界の人たちに向けた過激表現の伴う作品は、人気であるが故に販路拡大の可能性があり、書店は多くの人目に触れる場所に置く判断をしたのだろう。

その“ほとんど暴力”の被害を受ける人たちや関係者が声を上げ、多くの書店で同様の被害を受けないように望む意思を拡散することを支持したい。全国の書店などにゾーニングを求められているなかで利益拡大と社会的責任のバランスは難しいと思うが、こちらも応援したい、書店は好きなので。

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私はTwitterのツイートを特定のユーザーへと届くものだと考えている。短いつぶやきをブログとして全世界に向け掲載するという形式ではあるが、自分の発信は自分をフォローしている限られた人たちに向けているように錯覚する。事実、大半の投稿はフォロワーに向けた狭い範囲で流れているだろう。

逆に自分がフォローしている範囲でタイムラインに表示される投稿は、自分が選別し自分のために読むべき投稿であるという意識となる。

私はこのような閉じられたSNSとしてTwitterを見ている。

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性的な表現について、私は好きである。苦手なものもあるが、概ね好きであり寛容でありたいと思っている。

性的な表現を苦手な人がいるということも理解しているつもりである。得手不得手にグラデーションがあるとも考えている。

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昨今のラノベの表紙に「お父さん、これ気持ち悪い」という娘さんはごまんといるだろうし、そう思わせてしまう畏れのある表現はゾーニングしようという機運は高まっている。

件の投稿について、身近な書店で突然に“ほとんど暴力”の被害を受けてしまうことは避けたいし、身近でなく全国的にある状況を聞くと黙ってはいられない。強く義憤にかられていなくても、体験談としてゾーニングを進める1つの手助けになればいいか程度の投稿かとしれない。

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私は性的コンテンツを楽しんでいる。それはどうしようもない性欲にかられた時だったり、特に深い意味がなかったり、様々な気分や状況に左右される。

しかし、それは必ず閉じた空間の中でなければならず、表出する場合であっても制限の範囲内であると自覚せねばならない。

そして、好きな物に誇りを尊厳を持ち他者からの批難や中傷に動じてはならない。

私は私の好きなものを名指しで「気持ち悪い」と言われたら、怒りの感情に支配されると思う。

冷静に相手の主張の論点を踏まて検討し的確に自分を分析し批判や反駁をすることは難しいのではなかろうか。

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件の投稿についての感想である。

過激な性的表現が多くの人の目に触れるようになっている事は問題として取り上げるべきである。ゾーニングが広がれば“ほとんど暴力”の被害者は減っていくだろうと思うので、推進されてほしい。

特定の性的表現を「気持ち悪い」と批難し、その後にゾーニングが必要であるというような主張をすることは議論を沸かしさえすれど説得的ではなく無用な紛糾を呼ぶことになる(現段階の私のこれも含め)。 

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Twitterのごときおよそ議論に向かないツールに踊らされた後悔と、自戒を込めて投稿します。